久藤琉笑に関する伝聞 あるいは性交渉を避けるべき理由 「あの人に興味があるノ?」 「うわっ。」 ぼんやりしてるところに声をかけられてびっくりしてしまった。 「おっと。」 落としそうなったコーヒーを、僕に声をかけた人物が すんでのところでキャッチする。 「あ、ああ、すみませ……。」 コーヒーを落としかけた原因であり、 それを未然に防いでくれた人物を見て、 僕は言葉を失った。 「あの人はやめといたほうがいいヨー?」 魔女の仮想かと思うような黒い大きな三角帽子。 ボサボサの髪の毛。 左右のレンズの形と色が異なる眼鏡。 右耳にだけピアスが下がっていて、 笑った口から見えるその歯は一つ一つが バラバラの色に塗られている。 「……まあ、もっとも?キミに死ぬ覚悟があるなら? ボクが落とし方を教えてもいいアルヨ?」 「え……。」 待ってくれ。 あまりにも展開が早すぎて消化しきれない。 「クックック、アナタは運がいいネー、 今日のベストラッキーパーソンだヨ。」 彼は僕の返事を待たずに、僕の向かいの席に座った。 「スミマセーン、カフェラッテとホットケーキお願いしマース。 バターマシマシメイプルマシマシでよろしくだゼ。」 彼の格好は、見れば見れるほど異様だ。 右手にはジャラジャラと沢山の指輪をつけているのに対し、 左手には真っ白なてぶくろをはめているし、 コートは継ぎ接ぎだらけで見ていると目がチカチカする。 「さぁーて、どこから話す?」 「え……いや……。」 僕は相手の空気に飲まれてしどろもどろだった。 「ユーは新人ネ?」 「そう、ですけど……。」 僕が肯定すると、彼はあちゃーっといいながら 右手を額に当てて大袈裟なリアクションをしてみせた。 「じゃあ彼女のことはほとんど知らないよネー。」 「……あの、あなたは」 「おっと、そうだよナ、オイラのことも知らないよナ。」 彼はポケットからしわだらけの紙片を取り出して、 僕に差し出した。 「私の名前はNyarl、ここの研究者のひとりヨ。 よろしくネー新人職員サン。」 紙片を広げてみる。 どうやら彼の名刺のようだ。 名前と研究室の番号が記載されている。 「規則外現象観測?」 これまた聞いたことのない研究内容だ。 しかし、僕の疑問の声を無視して、 彼は話を元に戻した。 「彼女のこと、好きなノ?」 一気に首から頭にかけて発汗と発熱が起きる。 「えっ、いやっ、そのっ……。」 「彼女も研究者だヨ。しかも超一流。名前は久藤琉笑。 優しくて人当たりもよく、 一部では生き仏だなんていわれるほどだヨ。」 そんな僕の様子を見ても、彼は表情を変えない。 最初と同じ笑顔のままだ。 「彼女綺麗だよネー。金髪ロングだし、笑顔も素敵だしネー。」 「っ……。」 思っていたことと同じことを言い当てられて、 ますます体温が上がってしまう。 「ユーが抱かれたいって思うのもわかるネーとても良くわかるヨ」 「そ、そんなことまでは……!」 「でも、おすすめはしないアル。ミーなら、絶対に、ノー。」 彼の注文が届いた。 「あ、追加でメロンフロートもお願い」 店員が何処かへ行ってしまうまで待ってから、 彼は右手で十字を切り、合掌して一礼し、 右手にフォーク、左手にナイフを持って 一枚目を横に薄く切り始めた。 二枚におろす気らしい。 「……」 「……」 沈黙。彼は黙々とホットケーキを切り続けている。 「……この研究所の研究者は、みんな変わり種なんだヨ。 普通のヒト属ヒト科はいないと思おう。」 彼は急に話を再開した。 「……どういうことです? 皆人間じゃないってことですか?」 「ノン。素体は人間サ。けど、普通の人間じゃないのヨ。」 「……エルフとか、吸血鬼族とかの方が多いとか……。」 「違う、そうじゃない。 大体の人間が、普通じゃないのサ。 ウチを見ればわかるやろ?」 「変わった方が多いとは聞いていますが……。」 「……うーん、そういう話でもないのじゃヨ。」 彼は二枚におろしたホットケーキの間に、 手付かずのもう一方のホットーケーキを挟むと、 そこにかぶりついた。 「……ま、見せたほうが早いネ。本当にキミはラッキーパーソンだよ。」 彼はそうつぶやくと、 右手に持ったフォークを空中に置いた。 「……。」 これ自体は、まだ驚くことではなかった。 ノーモーションかつ無言で魔術が使える、 くらいのことはここの研究者にはよくあることだ。 だが、次に置きたのはありえないことだった。 「……?」 宙に浮いていたのは、フォークのはずだった。 ところが、いつの間にかそれはナイフになっていた。 そして、その次の瞬間にはまたナイフになっていた。 「……??」 「危険性はないヨ。持ってご覧?」 僕はそれを慎重に手に取った。 そして、手の中でじっくり観察した。 どんなに目を凝らしてみていても、 フォークだと思った瞬間にはナイフになり、 ナイフだと思った瞬間にはフォークになった。 「……こ、これは……。」 「これがアタイの能力だヨ。規則性を破壊する。」 僕はもう一度目の前の人物を見た。 彼は最初と同じ笑顔だったが、僕にはそれが不敵な笑みに見えた。 「それはあげるよ。俺、壊すのは得意だけど直すのはキライだからナ。」 そういうと、彼は店員に新しいフォークを要求した。 「あ、Nyarlさん、お店のもので遊ばないでくださいって いってるじゃないですかぁ、お願いしますよぉ。」 「スマンスマン、新人クンに教育を、ネ。」 あはは、と笑い合って、店員はさして気にする様子も見せず、 新しいフォークを渡して戻っていった。 「……。」 僕ははちみつがちょっとだけついている 同一性を失ったフォークとナイフの間をさまよう何かを 手にしたまま、固まっていた。 これが、ここの日常なのか。 「……自己改変能力。」 「……?」 「久藤琉笑の持つ特異性ヨ。」 Nyarlはホットケーキを食べ終わり、 若干ぬるくなっているであろうカフェラテを口に運んでいた。 「彼女は、自分が異世界研究のエキスパートだと思っているからこそ 異世界研究のエキスパートであるし、 自分が久藤琉笑という女性であると思っているからこそ 久藤琉笑という女性である。」 「……?」 「つまり、彼女にお前はオレの嫁だ!って信じさせれば、 本当にあんたのお嫁さんになっちゃうということなのダ。」 「……。」 「ネ?簡単でショ?」 「……。」 僕は何がなんだかわからなくなりながら、 自分のコーヒーに口をつけた。 「しかし、でも……あの人がそういう能力を持っているとして、 関わらない方がいいというのは、どういうことですか?」 「……そこまではいってないじゃないカ。 エッチはしない方がいいっていってんヨ。」 「っ……、いきなりそんな。」 「7人。」 「……え?」 「彼女と交接して、未だに治療を受けている人数。」 「……なんですって?」 「彼女との性行為は、命がけなのサ。」 「……。」 僕は何も言えなかった。 Nyarlはカフェラテを飲み終わり、 アイスの溶け切ったメロンフロートを 意味もなくかき回している。 「……なぜです。」 「ンー?」 「なぜ、彼らは、治療を受けているのですか?」 「4人はED、つまり性交渉が不可能になって、未だ治ってない。 二人は鬱病、最後の一人については非公開情報だヨ。」 「……」 「……ま、事件自体はずっと前のことだし、 彼女もまだ成人したばかりだった。 ちなみに、彼女自身の記憶も消されているから、 本人に問い詰めても無駄だからネ?」 「え?」 「ここではよくあることダ。 必要なら記憶も消す。 催眠や意識改変も行う。 人体改造だって行う。 そういうことはあなたも知ってるはずデス。」 Nyarlはメロンフロートを飲もうとしない。 ただずっと混ぜ続けている。 僕はと言えば、なんといっていいか全くわからず、 黙ってNyarlの言葉を待った。 「……何があったか知りたいだろうネ。」 「……。」 「……。」 Nyarlはすっかり混ざり切ったメロンフロートを脇へ置いた。 そして、テーブルに肘をついて、両手の指を組んだ。 最初の事件があったのは、 彼女が20歳になった年だったらしいネ。 彼女と男性職員一人が部屋から見つかった時、 男性は完全に昏睡状態だったそうだヨ。ワーオ。 更に、彼女には狐のような形の金色の 耳と九本の尻尾が生えていて、 瞳孔も縦に切れ長だったらしい。 まさに伝説上の妖狐と違わぬ妖艶さだったってさ。 ちょっと見てみたいネ? お陰で、その時探しに来ていた男性職員は皆一斉に魅了状態に、 女性ですら息を呑んだだらしい。 もちろん、これでは男性職員は役に立たない。 女性職員も彼女を取り押さえようとしたが、 彼女にはどうも強力な妖気というか 催眠の能力があったらしく、 「この者を頼むぞ?」 と一言伝えられて逆らえなかったらしいデス。 全員の催眠状態が解け、 自由に動けるようになった瞬間から、 自体の把握と収集の作業が始まったんダ。 男性の方は極度の疲労状態であり、 そのまま集中治療室へご案内。 その後のインタビューで、 彼は彼女がまさしく九尾の狐であったようだといい、 夢のような時間だった、あのまま天に召されてしまえばよかった、 と答えたそうだヨ。 妖狐化した琉笑の方は、その後大捜索網を敷いたにも関わらず 72時間以上見つからなかったんダ。 見つかった彼女からは尻尾も耳も消えていて、 いつもの彼女のように見えたそうさネ。 そして、非常に達筆な文字でしたためられた 一通の手紙が傍らに落ちていた。 すごいよ、和紙に筆で書かれたらしい。 読み解くのに学者を呼んだってんだから笑っちまうナ。 おおよその内容を要約すれば、 まさかこんなことになるとは思っていなかった、 眠っている今のうちに記憶を削除しておいて欲しい、 という感じだったらしいヨ。 詳しい内容はぼくもしらないケド。 んで、なんとかその事件の収集がすんだ後、 次の事件はその半年後だったっテ。 今回の被害者は確信犯でサ、 人生を悲観した男性職員が彼女に 抱いてほしいと懇願したらしいヨ。 琉笑は前回の記憶が無いし、 その職員のことを結構気に入ってらしい節があって、 まあ事件になったわけだケド……。 こっちも、まあ最初の事件と同じような感じの ストーリーを辿ったようだネ。 ただ、今回はお手紙が分厚くなっていて、 彼の身の上についての話と共に 彼を許してやってほしいという内容が含まれていたらしいんダ。 それから、やはり今回も記憶を消してほしいということ、 これから二度とこのような事件が怒らないようにするために 自分が考えられるありとあらゆる方法がそこに 書かれていたそうだヨ。 その方法を応用することで、 その後しばらくは事件を抑えられていたんだけど、 そこから5人、犠牲になったってことだよネ。 その辺の細かい内容に関してはプライバシーがなんとかで 誰も見られなくなってる。残念無念。 儂ならもっと根本からこんな事件が起きないように 何かしらの策を考えられると思うんだけどニャー。 まあそれはそれとして。 今では何らかの方法で彼女の中の妖狐を押さえ込むことに 成功しているようだネ。 詳しい方法については秘匿されているのでありマス。 多分暗示とかそういうのも含まれているってことじゃなイカ? ネタが割れちゃうと無効化されてしまう類のやつ。 そして、男性職員は彼女の性交渉はおろか 交際すらも禁じられてるって訳ヨ。 だからお主も、彼女に近づかん方がエエ。 近付いたら、最悪解雇されちゃうかもヌエ。 「ま、ワガハイは、ここじゃ嘘つきで有名だからネー。」 「……え。」 その一言で、僕は閉塞感から瞬時に開放された。 「皆に聞いてみるといいデースネー、 Nyarlの言ってることは信用していいかどうかって。 8割以上はうそうそっていうネ。 手持ちのチップ賭けてもいいヨ?」 「……。」 全く、なんて人だ。 こっちは本気で……。 「そんなワタクシから真実を聞けたことを光栄に思いなサイ?」 「は……?」 彼は、自分の伝票と一緒に僕の伝票も取り上げて席を立った。 「奢ってさしあげマス。次のお仕事遅れてはならぬゾ? さっきのフォークはゴミ箱にでも捨てておけばいいダラ。」 彼はひらひらと手を振りながらレジへ向かった。 「……。」 手の中のフォークは、唯の金属の塊になっていた。 かと思うと、箸になり、 かと思うと、延べ棒になり、 かと思うと、鉄串になり……。 僕はその鉄棒を取り落とした。 取り落とした鉄棒は、床に落ちて、 そのまま床を透けて、消えていった。 「……。」 それでも、目の前の混ざりきったコーヒーフロートは残っていた。 「……あれ。」 目をこすってみる。 やっぱりそれはコーヒーフロートだった。 「……。」 たしか彼女が頼んだのはメロンフロートだったと思ったんだけど。 どうも、僕の勘違いだったらしい。 「……あ。」 そうだ、次の仕事に行かないと。 しかし、琉笑さん、変な人だったな。 「モー、琉笑、あなたは少し不用心すぎマース。」 「すまんすまん。こう、寂しそうにしてるやつを見ると、つい、な。」 「あなたはお人好しすぎマース。いいことデスけど。 でも、あなたが仲良くしていいのはここの研究者だけデース。 詳細を知らない補助職員には、認識されたらまずいんデスヨ。」 「はあ……全く……困った体質だ。 私もCthyllaのように、影が薄かったら良かったんだが。」 「無いものねだりデスネ。あなたの特異性はあなただけのもの。 不便な点もあれば便利なことも多いはずデース。 Cthyllaと特異性の内容を入れ替えても、 それは変わりませんヨー。」 「まあ、そうだな……。」